とある一家の葬式実録 命日

父が亡くなった時の記録です。
注 会話の内容は、ぜんぶじゃないし、一言一句正確でもありません。

死亡確認

5/18(土) 23:30 父が入院している病院から電話がくる。「〇〇さん(父)の、呼吸が停止してしまって、病院に来てもらえますか?」「えっ!はい、すぐにいきます。」「どれぐらいかかりますか?」「歩いて30分ぐらい」

妹からも、電話があり、病院へむかうとのこと。

家を出ようとすると、また病院から電話がくる。「人工呼吸器はつけますか?」「いえ、延命処置はしないでください。」父がそう希望していたので、断る。

病院へむかって、夜道をてくてく歩く。父がそう長くないというはなしは、きいていたので、特に動揺はしてなかったとおもう。まあ、76才ということもあり、寿命といえば寿命なので、しょうがない。それよりは、このあと、どこの誰に連絡してとか、そんなことを考えながら歩いていた。

父が入院しているH病院へ到着。父のいる病室へいくと、父の姿はなく、ベッドごと移動されてしまっている。どこへ移動したのかナースステーションで聞いてみようとすると、先に到着していた親戚が、「お父さんは、こっちにいる」と教えてくれる。

妹夫婦も到着。

看護師さんが、父のベッドの側にイスをならべてくれたので、そこで、しばらくはなしをする。そして、看護師さんに、当直のお医者さんを呼んでもらう。10分かそこらで、登場。

5/19日(日) 0:13分 死亡確認

葬儀社をすぐに決める

看護師さんに葬儀社を決めてくれといわれる。「えっと、いつまでに決めればいいですかね?」「この病室に(父が)いられるのは、朝までです。」「最大で、どれぐらいいられますかね?「遺体を安置室に移動しても、午前中ぐらいまでです。遺体(の数)をそんなにおけませんので」「なるほどです。。。。」内心は「さー、どうしたもんか」

葬儀社が来るまでの間に、看護師さんは、遺体の清拭をしてくれるとのこと。

とりあえず、葬儀社を探すことにする。母が亡くなった時に利用したK社という冠婚葬祭のサービスを提供している会社に電話をしてみる。ナースステーションにあるパソコンで、連絡先の電話番号を調べもらって、電話する。

「すみません、父が亡くなってしまいまして、今、その病院にいるんですが、病院から遺体を搬送する必要がありまして、おねがいできますか。それと、お金がなくて、葬儀はなるべく安くしたいんです。」諸事情でお金がないので、お金のはなしも最初から切り出す。「ご遺体は、ご自宅か弊社の斎場の安置室のどちらへ搬送しますか?」「えーっと、、、、母がそうだったので自宅へおねがいします。」「1:30頃におむかえにあがりますので、おまちください。安くとおしゃいますと、お葬式の形式はどうなさいますか?」「形式といいますと?」「一般的には、通夜、告別式、火葬です。告別式、火葬だけで100万円から150万円かかります。火葬のみ(直葬というようだ)でも、45万円ほどかかります。」「えっ、そんなに!?」「お寺様とのお付き合いはございますか?」「母がなくなっているので、あります。」「それでしたら、明日、お寺様にもご連絡して、お寺様ともご相談なさってください。葬儀につきましては、明日、ご自宅に弊社のものがお打ち合わせにまいります」

父の遺体を葬儀社の迎えの車に載せてもらって自宅へ送ってもらう。集まってくれた親戚と妹夫婦に手伝ってもらって、ちらかっていた居間を大急ぎでかたづける。

片付けた居間に父のふとんをしいて、父の遺体をねかせてもらう。

葬儀社のかたが、線香とか道具一式を小さな台の上に用意してくれる。

葬儀社のかたの指示にしたがって、その場にいたもので、線香も立てて、父に末期の水を与える。でっかい綿棒みたいので、唇に水をちょんちょん。

「お寺様にご連絡をして形式や日時を相談してください。」「わかりました。」「お打ち合せは明日の何時頃がよろしいでしょうか。」「深夜に動いて、集まったひとは疲れているので、午前中は、少しやすみたいので、午後にしてください。」「それでは、13:30分に弊社の担当者がまいります。」

集まってくれた人も、一度、各自の自宅に帰ってもらった。

「はぁー、あしたから準備して葬式かー。あれやって、これやって」とかTODOリストで頭をいっぱいにしながら、自分も2,3時間ばかり眠る。

ぼくにとっては、急で、実際、土曜の深夜だったが、病院や葬儀社にとっては、日常的なことのようなので、それらの誘導にしたがって、スムーズに作業がすすんでいったとおもう。Webのシステムも365日24時間運用ってのはあるけど、病院や葬儀は、本当に24時間まんべんなくだな。


亡くなる前のようす

数ヶ月前
  • 去年の夏頃から、せきが止まらなくなる。
    • 夜中、寝ててもせきしていた。
  • 2012/11に、病院にいって、検査入院して、肺がんと糖尿病と診断。
    • ぼくが「一度病院いけ」といってもなかなかいうこときかなかった。
    • 長年の仕事仲間にもいわれてようやくいったらしい。
  • 医者には、「もって6月頃までではないか」といわれていた。
  • 糖尿病のせいで、肺がん治療はすぐには、はじめられなかったそうだ。
  • 2012/12から、入退院を繰り返して、断続的に、抗癌剤治療していた。
    • 2週間でワンセットの治療を、約5ヶ月で、合計5,6回だったかな。
    • 抗癌剤治療をはじめてからは、退院していても、毎日病院に通っていた。
    • ネットで調べたところでは、昨今の、病院のふところ事情、保険の診療報酬のはなしで、病状によって、あまり長期の入院はできないというのがあるそうだ。
  • 抗癌剤治療開始後、せきはしなくなった。
  • 2012/12の治療で、体重7kg減
    • 2013/01に、一度、退院したときは、一気に老けこんで、よぼよぼになって、歩くのがやっとだった。
数週間前から当日
  • 2012/05は、医者に「体力的に抗癌剤治療はきびしいだろう」といわれて退院して自宅にいた。
  • 亡くなる4日前、午前中、病院で検査して一度帰宅
  • 帰宅後、体調が悪くなったそうで、父が自分で車を運転して病院へ。即入院。
    • いや、自分で運転するなよ。あぶなすぎる。タクシーか救急車よべよ!
    • ぼくは、運転免許もってないので、親戚に車を移動してもらうまで、駐車台が1万数千円。
  • その日の夕方、ぼくも病院から「お父さんが入院したので病院へきてください」といわれ、仕事後、病院へ。
    • 父に会ったが、まどろんでいるというか、「おおー、きてくれたのか」弱々しくいって、尿瓶におしっこして、すぐに眠ってしまった。ぼくがはなしたのは、それが最後。
  • その後、見舞いにきてくれたひとのはなしでは、顔がパンパンにむくんでいたそうだ。
  • 看護師さんのはなしでは、亡くなる1日前に、尿がでなくなったので、管を挿入した。
  • 亡くなる前日、土曜日の昼間も、会話ぐらいならふつうにできたそうだ。特に、痛いところもなかったらしい。
    • 父のはなしでは、抗癌剤治療が、吐き気とかでつらかったらしい。
    • 調べたところでは、肺がんは、末期にならないと自覚症状がないらしい。
  • 土曜の深夜に、呼吸停止。6月までといわれてはいたが、いきなりな感じだ。
  • 死亡診断書の、死因は、肺がん
    • ちなみに父は、喫煙者